大人になってから感想が変わった作品(小説・漫画・アニメ・ゲーム・映画等)について「あまりムキにならず」マタリと語りましょう
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次スレは>>980が立ててね
前スレ
大人になって感想が変わった小説漫画アニメetc.★139
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/ms/1613897523/
引用元: ・大人になって感想が変わった小説漫画アニメetc.★140
おつ
>>6
小学校高学年といったらもう子供というより小さい大人だよね
そもそも異性の子供と一緒に風呂に入るのは、その子が幼な過ぎて一人で風呂は危険と判断される年齢までだわ
>>7-8
いえいえ
漫画として、主人公のビジュアルをスタート時点からあまり変えたくないというのもあっただろうね
そういう事情も全部ひっくるめて物語の中で納得できる理由付けをちゃんとできるのがすごい
母さまの手のオレンジのオチの付け方とかすごいなと思ったわ
連載スタートした時点で多分そんなことまで考えてなかっただろうに
スレタイな話
話の発端になったメデューサの大暴れが、嫌な言い方をすれば不妊のヒステリーだったのが
神話とか舞台のスケールの壮大さに比べてちょっと器が小さすぎるというか人間っぽすぎて
ストーリーの中でずっと圧倒的な存在だっただけに、大人になってみるとやや残念w
小5ならおねえさんの裸見る嬉しさよりも
自分の裸見られる嫌さの方が上なんじゃないかな?
女の子と一緒に入りたいと思った瞬間から
女湯には入れなくなるという名言があるのに
いちおつ
前スレの、キャラの印象と設定年齢がかみ合わないって話
ピグマリオのクルトは最初は素直な普通の少年ってだけだったけど
話が進むにつれちゃんといろいろ人間的に成長しているのに外見だけが成長しないから
終盤は見た目はガキのくせに中身はやや大人びた子供になっていたw
(外見が成長しないのは一応魔法で外見の成長を止められてるという設定があるからなんだけど)
メデューサを倒したとき一体作中の時間で何年経っていたのかは明言されてないけど
あの冒険の長さを考えればさすがにミドルティーンくらいになってただろうなあ
小オリエに告白するときもお互い外見が初期設定のままだったから微妙に違和感あったけど
15、6歳になってたのではと思えばまあ納得できる
ピグマリオは意図的に成長させてないという裏設定があると読んだ覚えが
・ラスボスがある意味実の母と同等の存在だったこと
・メデューサの乳母オーラに秘密を暴露させること
等、主人公のクルトが幼い外見のままを保っているからこそ絆されやすくする為に
+作者のロリ性癖も満足させる為もあった(小オリエ)
メデューサが何度もクルトを殺せる機会に
実行しなかった理由が明らかになった時の面白さ、感動は堪らなかったわ
>>5
>(外見が成長しないのは一応魔法で外見の成長を止められてるという設定があるからなんだけど)
御免なさい
この一文を読み逃してましたorz
今は笑えないって言うか生まれ変わるならエピローグみたいに
幸せな母になっててほしいよメデューサ
西村しのぶのSLiP 昔馴染みのお宅で主人公が泡風呂しているところにその家の男子高校生が入って来る
浴槽できゃはは 西村さんだからオシャレに描いているんだけど
別室に父母もいてかーちゃんがあーうるさいお風呂でさわがないで!
で、とーちゃんが何故女親は聞こえない所で文句を言うのだろうか・・・
当時もえ・・・となったけど今は生理的に苦手な作品になってしまった
別室には父母もいての後が何かよくわからん
現実の子供は可愛いけど面倒くさいとこを漫画やアニメで延々やられたら読まないや
サツキが神童だから目立たないけどメイも本来は手のかからないタイプだし
ミライの未来は親含めリアルだってきいたけどその分イライラしたって人多かったらしい
お母さんがサツキの髪を梳かすシーンで途中でメイが「メイも」って言っても
「じゃあメイを先に」ってしないところ
大人になってそう言う部分にうるっとしてしまうようになったわ
あれいいよね
サツキも変に譲らないのもいい
タイキは5歳くらいと思ってたら10歳て
読んだ当時は子供いなかったけど、それでもありえんだろと思った
あのバカ夫婦は牢屋にぶちこむべき
別な意味で河惣益巳のジェニーシリーズの双子を思い出したわ。
「見た目は子供中身は大人」じゃないけど、
「やたらマセてて、大人びた口調の才能溢れる子供」という中二っぽい設定と
単に大人を縮めただけの子供らしい可愛らしさが全くない子供の描写がダメだった。
昭和の時代だって内向的でうじうじした子供は一定数いたはずだけど
物語にはそういう子は出てこないか問題児扱いで主役には据えられない
そういや外国人のトトロレビューでカンタのことを
「少し問題を抱えている子」と評していたのがあったよ。傘をちゃんと渡せないとことか。
あれは日本人から見たら納得の行動なんだけどねえ
そもそもジブリ作品に出てくる少女の殆どが、大人が思う典型的いい子!って感じのファンタジーだよね
ラピュタのシータとか、あんな台所で即座に美味しいご飯(大人数分)とか作れないわ普通
そんな中、千尋が今までのジブリ少女とは正反対のキャラクターで当時は新鮮に思えた
ストーリーが進んでいくと、宮崎アニメのテンプレ少女に矯正されたけどねw
パズーも孤児だよね。(シータも?)
どうやって生計を立ててたんだろうか?
ちなみに「あしたのジョー」も。
しかもシータ(Θ)って、間抜けな名前で親の顔が見たいw
バズー、働いていたよね?
子供一人で割ときちんとした場所に住んでるから
強盗とかされちゃいそう・・・とか思って。
しかもシータは女の子だし。
親は内田春菊かもしれん
ラピュタを汚さないでw
あれはアニメだけど
リアル現実だとああいう異様に物分かりのいい子の親って
とんでもないDQNの場合が多々あるのでなんとなくそれは思っちゃうw
がきデカは子供の頃はよく意味が解らなくて八丈島のキョンとかの一発ギャグを楽しんでたけど、
ドタバタギャグの疾走感が今読んでもハンパない
でもまぁお子様には見せられないなw
がきデカは同じチャンピオンで百億の昼と千億の夜連載してる頃の
私は阿修羅
あ・しゅ・ら チュバッ(投げキス)
ってのがなんだか忘れられないwww
他漫画パロのハシリだったんだろうか(…いやたぶん手塚治虫がとっくにやってそうだな)
大林宣彦版『時をかける少女』は好きな映画なんだけど
あの映画に出てくる学校の生徒が「期待される生徒像」って感じで無理があるなと思った
あの頃って校内暴力や家庭内暴力真っ盛りの頃だよね?
だからこそ中年が若者への願いを込めて礼儀正しく言葉遣いも綺麗な生徒を描いたのかもしれない
ただ、創作全般って100%リアルっていうことは原理的にあり得ない訳だから、
現実社会ではもういなくなってしまった子供や若者を描くのは創作としてアリだとも思う
観てないんだけど、福島の山の方の高校に行った時
礼儀正しい生徒たちとそれを見守る優しい先生たちって感じだった。
偏差値が高い所だと有り得るんじゃないかな?
大林宣彦の「時をかける少女」が好き過ぎて尾道に旅行したことがあるけど、本当にいいところだったよ
坂が多くて猫が大量にいた
そしてたぶん野良猫なのに人なつっこい子ばかりだったから地域の人が優しいんだろうなーと思った
実際優しかった
映画にモブで出た尾道の人と知り合って案内してもらったりした
挨拶しろ靴しまえ釜爺にお礼言えってイライラしながら指導する所が何故か1番好きになったわ
リアルな先輩だな〜と思ってたらおまえやったじゃん!って後で親身になっくれるくだりは
大人になってからの方が染みたw
もっと小さい頃から仕事と家事仕込まれてたんだと思う
だからパズーが食い扶持稼いでるのもシータがいきなり大人数の料理作ってる(クルーが作ってるし)のも不自然には感じなかった
宮崎駿がお母さんが病気でずっと兄弟の面倒みたり家事してたらしいしね
今みたいに道具も豊かじゃないから、体が小さい子ども有利な仕事ってのあったのよ
狭いところには一桁台の子ども突っ込んで働かせてた
体も出来上がってない、体力もないから当然死亡者うなぎのぼりで
児童労働の実態が見直されるようになってった
小さい頃からお手伝いのレベルじゃなく労働力として
仕事や家事も否応なく仕込まれたから
今でいうグレーゾーンや発達系の人も単純労働や身の回りの家事は一通りできたので
就職や結婚もできた、って昭和スレかどこかで読んだわ
シータが海賊との食事を「あんなに大勢でとっても楽しかった食事」と言ってたりして
キュンときてしまう
あんなガツガツ食べてくれたら嬉しいわ。
むさくるしい中に一人美少女がいて
姫扱いだっただろうし。
ラナやシータやサツキみたいな活発で勇敢でたくましい女の子に憧れると同時に
やっぱり大人はこういう子供が好きで自分みたいなのはうざがられるんだなと
自己卑下に拍車がかかり今に至る
わかる
千と千尋みたいな状況で、
リンのような人が面倒見てくれたらずっとついていくわ
ラピュタで大量に死んだ兵士のひとりひとりに家族がいただろうに、とか
あれだけのものが海に落ちて沿岸部は津波とか来なかったのかな、とか
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